【実話系怪談】忌奇怪会~kiki-kaikai~【本当にあった怖い話】

Twitter→https://twitter.com/kikikai76211126?s=09 怖い話を集めています。 ある程度見て頂ける人が増えたら、wordpressなどを使って原文も合わせて投稿したり、 コメントなど頂けた人気の高い話は朗読系YouTubeでも公開しようと考えています。 現在はまだまだ細々と、1日1話投稿出来れば良いかな…と。二次使用などはご相談下さい。

百三十三夜目『猫の鳴き声』

これはKさんが岩手県R市で体験した話です。

2018年に私が東日本大震災の復興事業のために岩手県NPO法人で働くことになり、単身で仮設住宅に引っ越した。
比較的新し目で海から離れていて高台にあるので、災害時でも安心だなと感じた。
ただ、不思議なのは4部屋の仮設住宅が6棟もあるのに、入居しているのは私を含め7室と割合的に少ないなと思ったのだが、復興して新しく住宅を建てた人がいるのだろうなと、この時はあまり深く考えなかった。

そして、いざ仮設住宅での生活が始まってみると、私が入った仮設住宅は4部屋中、私しか入ってなかったのでものすごく静かでストレスなく寝れる環境であった。
最初の頃は本当に快適な生活だったのだが、5月のゴールデンウィーク明けから、夜になると猫の鳴き声が大きくなっていった。
野良猫が迷い込んで鳴いているんだなと思ったのだが、徐々に鳴き方が何かにおびえている。もしくは、威嚇しているような感じがしてきた。そのことは気にも止めなかったのだが、あまりにも長く続く事が気にかかり、窓から外をのぞいてみたが深夜という事もあり真っ暗で猫は見えず、鳴き声だけが聞こえるだけだった。
暗くておびえているんだなと思ってそのまま放っておいた。

季節は6月の梅雨の時期になり、豪雨に近い雨の日の夜に雨音よりも猫の鳴き声が酷く、さすがにかわいそうに思い、傘の下にでも入れてあげようと、スマホで辺りを照らしながら傘を持って外に出て、鳴き声の方向へ進んでいった。
すると、案の定ずぶぬれになった猫を見つける事が出来た。その猫に傘をかけようと思ったら逃げてしまい、追いかけていくと夜遅くにまだ電気をつけている仮設住宅の部屋の前で止まった。

なんだ、飼い主がいたのかと思うと明かりの先から傘をさしていない小さな男の子ががゆっくりと歩いてきて、猫はその子供の足にすり寄っていた。この時間にこの雨の中、外にいるのはどうかと思った私は、
「その猫は君の?」
と聞くと、その子は私を見て一瞬不思議そうな顔をしてから、うなずいた。
「家はここ?」
と聞くと、
「うん」
と言いながら遠くの棟を指さした。
「雨が酷いから猫と一緒に帰りな」
と言い、傘を渡してその日は自分の部屋に戻った。

後日、猫と子供が立ち止まっていた部屋の人とたまたま鉢合わせした時、
「こないだの凄い雨の日に何をしていたのですか?」
と聞かれた。
「猫と子供が傘もささずに外に出ていたので、傘を貸して帰るように言ったんですよ。あの雨の中、外に出るなんてと思いましたけど、目の前でしたもんね。ちょっとうるさかったですか?」
と答えると、部屋の人は不思議な顔をして、
「えっ?一人でずっと立っていましたよね。遠くをみていたから誰かを見送っているのかと思ってました」

「はい。だから、子供と猫を…」

「子供と猫なんていませんでしたよ。途中、傘を投げていたから壊れたものを捨てたのかと思いましたよ」

「何言ってるんですか?傘は子供に貸したんですよ」

「子供に?何言ってるんですか?ここの仮設は単身赴任の人用なので、お子さんを持っている人は入居していませんよ」

この時少しぞっとした。
「あと、ここは山の近くでクマが出るから猫とかペットを飼うと危険なので、ペットも禁止されているんですよ」
そう言われ、さらにぞっとした。
「確か、あそこの棟に住んでいると言っていたのですが…」

「あそこの棟は空ですよ。なぜかは、私も知りませんけど」

背中に嫌な汗が流れた。
そう言えば、あの日以来猫の鳴き声は聞こえなくなっていたことにこの時気が付いた。
渡した傘は未だに返ってきてはいない。その日の夜から、物凄く静かなことが逆に怖くなってしまった。
夏が近づいていて暑苦しくなかなか寝れないこともあり、ストレスが頂点に達しそうだった。

私は仮設住宅を貸してくれた市役所に話を聞いてみると、そこの仮設住宅は震災で家を失った人などがもともと暮らしていて、徐々に出ていったが、中には津波で家族を失った人も住んでいたこともあり、いつか帰ってくるかもしれないと、なかなか死亡届を出さずにいたところもあったらしく、建てられた当初はよくそのような話を聞いていたとのことだった。
私は猫と子供の話をすると、仮設住宅が建った当初、現在は空になっている棟でお子さんと猫を家に残したまま亡くされた方が入居していたということがあったそうだ。
詳しく確認しようとは思わなかったが、もしかしたらあの時の子供と猫は震災の時に。

2年後に私は任期を終え、R市から離れることになり、その仮設住宅も既に解体されている。