八十九夜目『つかれた』
これはAさんが長野県M市で体験した話だ。
小学生の頃、田んぼと田んぼの間の細い道に小さな道祖神があった。
それは数十年前に雷に打たれて亡くなった女の子を慰霊するためのもので、いつも飴やクッキーなどのお菓子がお供えされていた。
「雨の日は気をつけないと女の子に連れて行かれるよ」
と大人が怖がらせるものだから、近所で育った子供たちはみんな雨や雷を嫌がっていた。
あれは今にも雨が降り始めそうな薄暗い日だった。
「大丈夫だよ。きっと雷は落ちないよ」
私と友達はそんな風に言い合いながらも雷対策としてヘアピンをランドセルに隠し、学校から家までを急いで走った。
走りながら住宅地を抜けて田んぼのエリアまで来て、道祖神のある細い道に入ったところで、弱い雨がポツポツと降り始めた。
二人とも傘を持っていないから急ぐしかないのに、友達は足を止めてしまった。
どうしたのと声をかけると、友達は
「つかれちゃった」
と言いながら歩き始めた。
疲れたなら仕方ないので私も友達の後を着いて歩いた。
雨に濡れ始めた小さな道祖神にはその日もお供え物がしてあった。
個包装のクッキーといちごの飴、白いラムネがあり、友達はその中から飴を手に取った。
お供え物に手をつけるなんてと驚いてしまい、
「だめだよ。お供え物だよ、返しなよ!」
と私が言うと空が白く光り、すぐに轟音が響いた。雷だ。
「つかれちゃったんだもん」
友達はそう言ってからケタケタと笑い声をあげて雨の中を走り出した。
また空が白く光り、田んぼに大粒の雨が打ち付けられる音がした。
いつの間にか豪雨になっていて、雨と雷で道祖神も見えないほどだった。
『雨の日は気をつけないと女の子に連れて行かれるよ』
大人がいつもそう言っていたことを思い出した。
私は怖くなって、お供え物を返しなよと大きな声で呼びかけた。
友達は笑いながらくるくる回り、
「つかれちゃった!つかれちゃった!」
と叫んだ。
気がつくと自分の家の布団で寝ていた。
友達と二人で道祖神の側で眠っていたらしく、近所のおじさんが見つけて送ってくれたそうだ。
「晴れているからって外で遊んでそのまま昼寝するなんて」
と親には怒られた。
雨は降っていなかったらしい。
友達は何も覚えていなかったし、変な夢でも見たのかと逆に心配されてしまった。