四十夜目『客室廊下の鉄扉』
これはYさんが山口県N市で体験した話です。
当時Yさんが働いていたホテルでの話。
そのホテルの客室係の従業員は、下の名前の名札を付け、従業員同士も下の名前で呼び合う社風だった。
あれは入社して1ヶ月半くらい経っていた時の事。
その日、初めて教育係の女性の先輩と離れて、お客さまのお世話をしていた。
しかし、まだ不慣れな為、お客さまの対応を終えた頃には、夜の10時を回ってしまった。
「これから片付けか、いつ帰れるんだろ…」
と少し嘆きながら、客室が並んでいる廊下に繋がる、従業員用通路の鉄扉を閉めて、鍵をかけた。
「ふぅ、やるか!」
と、気合いを入れ直したその時、
「Yちゃーん!」
と鉄扉の向こう側、客室廊下から女の子がYさんを呼ぶ声が聞こえた。
Yさんはお客さまのお子様に何かあったのかな?と、思いながら、鉄扉の側に寄って廊下の様子を伺った。
「Yちゃーん、ねえ。Yちゃーん」
聞き間違えではなく、女の子の呼ぶ声がし続けていた。
なぜかYさんはその声を少しの間、ぼーっと聞き入ってしまったそうだ。
朦朧としたような、頭に霧がかかったような思考のまや、スッと手を伸ばして鉄扉の鍵を開けようとしたとき、
チィン
従業員用エレベーターがYさんのいる階に止まる音がした。
Yさんは鍵を開けるのを止め、エレベーターの方を見ると、教育係の女性の先輩が、降りてきて
「あんた!遅いよ!どうしたの?!」
と、あまりに終わるのが遅いYさんを心配してくれて、来てくれたようだった。
「ごめんなさい…」
まだ意識がハッキリしない中、Yさんは鉄扉の方に向き直り、鍵を開けようとしていた。
「え?あんた、何しようとしてる?」
先輩がおかしな様子に気付いて、近づいて来たそうだ。
「いえ。今、女の子が私の名前を呼んでたので、何かあったのかもしれないと思いまして」
と答えると、その瞬間先輩がスゴい形相で、Yさんの両手を掴み、
「ダメ!開けちゃダメ!扉から離れんさい!」
と言って、鉄扉から引き離された。
何をそんなに焦っているのか分からず、不思議そうに見ていると
「今日、この階はあんたが付き添ってるお客さま一組だけなんよ?わかる?」
ここまで言われても、分かっていないYさんに向かって先輩が放った言葉は、Yさんを恐怖させるのに十分なものだったそうだ。
「お客さまの中に、子供どころか女性すらいないよ!」
その後、鉄扉を開けることは無く、超特急で片付けを終えて帰ったそうだ。